いつ死んでもいいように。
↑は、今朝思いついた今後のテーマです(笑)
昔「早く死にたい」という上司がいて。これまた心臓に悪い表現ですが、真意はそのくらいの意気込みで真剣に生きよう、やりたいことはどんどんやろう、的なことでした。表現が少々過激な方が自分の心にもインパクトがあって良い、という事なんでしょうか。
でも確かにそうだ、と思うんです。本当は生きていることが奇跡で、いつ終わりを迎えてもおかしくない命。誰しもいつかは死ぬ。それが今日か10年後か50年後か、というだけの違い。「その時」が来た時、願わくば後悔する瞬間もないくらいに一瞬でポックリ逝きたいけど、そこは誰にもわからないから、後悔しない生き方をしたい。
というのと、もう一つ。遠い昔読んだ雑誌記事で桃井かおりさんが「綺麗なパンツで死にたい」的なことを言っていました。意味合いとしては「いつ死んでも、どの瞬間でもパンツが綺麗な女でいたい」的なことだったと思う。あ、パンツってズボンじゃなくて下着の方ね。それを急に今朝思い出しました。
もし今夜ふいにお風呂で転んで打ち所が悪くて死んでも…あ、お風呂じゃパンツ履いてないか…(°▽°) じゃぁ明日の朝、目が醒めることがなくても、綺麗なおパンツで。どの引き出し開けられても恥ずかしくないようにしておこう、と思います。
つまり、私の内側は現時点でかなりとっ散らかってる、ということか…と書いてて思いました、さぁ片付け片付け〜〜(笑)