あっちょんぶりけ

日々の幸せ、心のささくれ、外国語の勉強、レイキなどなど。

人の評価は…

ちょっと前に気づいたこと。私、「他人は私の事を減点式で見ている」と思っていた…や、今もそう思ってるかな、多少。

 

人生で初めてお付き合いした時のこと。当時私は彼に片想いをしていて、そしたら彼の方から告白してくれて。予想もしない「両思い」で舞い上がったのも束の間、翌週には彼に会うのがイヤになってしまった。

 

それまではどこに居ても真っ先に見つけたいし、近くにいるなら気付いて欲しくてソワソワした。一緒に居たかったし、たくさん話をしたかった。それなのに。両思いになった途端。コッチ見ないで、気付かないで、そんな目で私を見ないで。私と一緒に居るために他の事を犠牲にしたりしないで、待ってないで。楽しく会話なんて出来ない、話題も出て来ない、こんな私と居ても楽しくないでしょう…と。(過去の事だけど書いてて息苦しくなってくる…)

自分でも自分の変化に驚き、でも当時は自分を分析する余裕もなく、どんどん居心地が悪くなり、結果私は彼が嫌いになり、手を繋ぐこともなく、ほんの数ヶ月で私からお別れした。もう数十年前のこと。

 

大人になりアレは「彼を嫌いになった」のではなく私が幼かったのだ、という事が分かってきた。あの頃私は自分が大嫌いで自信がなかったから、「私が恋い焦がれたステキな彼」がこんな私に好意を寄せてくれる事が信じられなかった。それが何らかの形に捻れて、あんな展開になった。

 

最近になり ようやく分かった。あの時の私はとにかく嫌われるのが怖かったのだ。「彼は本当の私を知らずに告白してきた。付き合い始めてガッカリしてるはず。こんなハズじゃなかったって思ってるはず。」と思っていた。

つまり、他人は本当の私を知れば知るほど私を好きじゃなくなっていく、例えるなら親しくなる直前が満点で、親しくなるにつれて減点されていく、減滅されていく、と思っていた。私自身は相手を知れば知るほど好きな気持ちが強くなっていたのに、ソレには気付かずに。

だから、ガッカリされたり嫌われるのが怖くて、これ以上近付かないで、私を見ないで、と思い、最後には嫌われてしまう前に終わりにしたかった…らしい。

 

 その考え方は、その彼以降にお付き合いした人との間でも続いた。でも最初の彼よりも密度が濃くて「そういう話」をする機会もあったし、恋愛以外の部分(親子関係の問題)で心が安定してきていたので、あの時ほど 自分でも困惑するような事にはならなかった。

 

原因は多分、家庭環境。出来た事より出来なかった事にフォーカスする親だったので、常に自分は何が悪いか、何が出来ないかばかりを聞かされていた。

 

今でも、夫だけでなく全ての人に対して「嫌われたくない」気持ちがはたらき、相手に合わせたりしている。でも自分の本音を抑えて相手に合わせるのって、その時点で既にホントの自分じゃないよね。そんなんで好かれて嬉しい?虚しくない?意外と世の中 それほど減点式じゃないんじゃない? 最近そう思った。以前からその手の話は本やブログで色々見てたハズなんだけど、今回なぜか腑に落ちた感じがした。

 

さて。じゃあこれからは相手に合わせる事なく本音で…って切り替えたらどうなるだろうか?私はもう何十年もこの生き方をしてきたから、例えば夫や同じ職場だった人などは 面喰らうんじゃなかろうか。いや、別に本音=ケンカ腰って訳じゃないから 言い方次第か?などとつらつら考える今日この頃です。ちゃんちゃん。