あっちょんぶりけ

日々の幸せ、心のささくれ、外国語の勉強、レイキなどなど。

お金はあげません

今、まさしく今起きたこと。

カフェにいたら見知らぬ女性が来て、何も言わずに紙を見せてきた。”Love Donation”という題名の下に英語で説明書きがあり、さらにその下に手書きで 人の名前と数字。「耳が聞こえない」ことを示すのであろうイラストもあった。

つまり、人の名前と金額は、その女性にお金をあげた人の名前とその金額。

ごめんなさい、のジェスチャーをしたら「大丈夫」的な笑顔を残して去っていった。

 

私はケチなので「募金はしない」と決めている…いや、ケチと言うか、どーしても何かが引っかかって募金という行動に結びつかない。他の人が募金する姿を見ればすごいな、と思う。批判的な気持ちは一切起こらない。

でもいざ自分が、となるとどーにも偽善くささが気持ち悪かったり、あっちにしてこっちにしないのは筋が通らない、するなら全部しないと不公平って気がするし…うまく説明できない。ただ何か腑に落ちないものがあってお財布に手を伸ばす、金額を考えるという行為にたどり着かない。あれこれ複雑に考える必要はない、とわかっているけど、もう理屈ではないのだ、結局ただのケチなだけか。

 

今住んでいる国では物乞いの人が歩道にいるのは珍しくない。ホームレス風な人、乳飲み子を連れたお母さん(本当のお母さんかどうかは不明)、直視するのがはばかられるような身体的な異変がある人。え、この人、どうなっちゃってるの?と驚くことや、痛々しくてウッて思うこともある。

でも一方で、いつも歩道に這いつくばって、体を起こすのも大変そうに物乞いをしている人が、松葉杖で笑顔で軽快に歩く姿を見た事がある。現地の人から「物乞いの人の後ろには悪い組織がいるからお金はあげないほうがいい」という話を聞いたこともある。となれば、ますます何もしないほうがいい、という気持ちになる。

 

この国には仏教から生まれた「徳を積む=タンブン」という習慣がある。美しい習慣だと思う時もあるけど、目的は「来世の自分のため」と聞くと、違和感を感じてしまう時もある。来世の私、自力で頑張れ(笑)

 

まぁ、つらつらと書いてきましたが あれやこれやで 私はお金はあげません。という話でした。いつか、何かのきっかけで腑に落ちる事があれば変わると思います。