自分の「好き」を ちゃんと知る。
日本では田舎に自宅がありまして。
洋服等の買い物は通販を利用することも多く、
たまにお街に出るとそのステキなキラキラ感に圧倒され、
くすんでいる自分を痛感したりしていました。
もっとキラキラした場所に頻繁に足を運ばねば…と思いつつ
何もせずに時間だけが流れていたような。
現在あちらの国では首都に住んでおり、感覚としては東京に住んでる感じ。
(東京に住んだことないけど)
キラキラした場所が常に目の前にあり、
日本でステキだと思っていた雰囲気が目の前にあるのに、
この地に足のつかない感じに飲み込まれてはイカン、みたいな気持ちになります。
私みたいにあまり芯のないことを自覚している人間は
このキラキラ感に馴染んでしまうと流されて自分を見失うんじゃないか、
という妙な警戒感を持ってしまうようです。不思議。
何となく、今までは「キラキラ=ステキ」と思っていましたが
今年はうわべだけの購買意欲を煽るためのキラキラ感に惑わされない、
或いは周囲の「購買活動=ステキ」と考える人たちに流されないよう、
自分の「好き」をハッキリと持ちたいなぁと思います。
…なんだろう、年始からキラキラ感を全否定しようとする私のこの気持ち?
初売りで何か感じたのか?(自覚はない)
私もキラキラ好きです、人としてまだまだキラキラしたいです。
ポイントはどんなキラキラか、よね。
ブランド名より機能、手触り、直感。
欲しい、より 必要かどうか。
カワイイ よりは 美しい。
装飾より削ぎ落とした機能美。
とは言いつつアクセント的に彩りも欲しい。
あちらの国は日本とテイストがかなり異なるので
購買意欲を刺激されることは多いけど、
人生のスパンで愛せるか、日本に持ち帰っても使うか…
自分の「好き」を知るとともに、「見る目」も養いたいです。